

近現代における臼井家の活躍
Modern and contemporary activities
香月泰男画伯・小林和作画伯との繋がり
香月泰男画伯(1911〜1974)は山口県三隅(現・長門市)に生まれ、生涯故郷を離れることなく創作活動を続けた画家です。
「医者の眼」で描いた鎮魂
叔父様が他の戦争画家と決定的に違うのは、その「眼」です。
代々、御殿医として生命を冷静に、かつ慈しみを持って見つめてきた臼井・香月両家の血が、極限状態のシベリアで発揮されました。
飢えた人々が空き缶で作ったストーブ。
凍土に埋められた名もなき兵士の足。
叔父様は、凄惨な光景をただ描くのではなく、そこに宿る「人間の尊厳」を記録されました。それが、あの「シベリア・シリーズ」 となりました。

日本画家、小林和作氏
梅原龍三郎氏の弟子である日本画家。臼井家(臼井隆助)10代目の子、臼井アサと結婚。臼井家が持つ芸術的な「奥深さ」と、美意識との繋がりを示しています。

刺繍画・一点のみ



西日本新聞社への手紙と記事掲載の経緯
臼井博隆氏は、山口県山口市秋穂にある「うすい山荘」の当主であり、53年間にわたりこの仕事に従事してきた人物です。
43年前、臼井氏の母が「西日本新聞社本社」に手紙を送ったことがきっかけで、新聞に記事が掲載されることになりました。母は、福岡市天神にある西日本新聞社本社に対して、臼井家の活動や車えびに関する情報を伝えるために手紙を書きました。
その手紙に対して、新聞社から「ぜひ、お願い致します」という返事が届き、昭和58年(1983年)9月18日(日曜日)の西日本新聞・日曜版に記事が掲載されました。執筆者は吉田記者で、元福岡県知事でもある人物です。
車えびブームの火付け役としてのエピソード
この新聞記事が掲載されたことをきっかけに、臼井氏が育てていた「天然の車えび」が注目を集め、福岡県内の複数の新聞社やスポーツ紙(朝日新聞、毎日新聞、西日本スポーツ、日刊スポーツなど)で取り上げられるようになりました。
さらに、福岡駅(博多駅)のニュースでも「車えびが水槽の中で泳いでいる様子」が報道され、これが「車えび一大ブーム」の火付け役となりました。
臼井氏によれば、現在でもそのブームは続いており、誰がそのブームを作ったのかは一般の人々には知られていないが、「臼井博隆」だけがその真相を知っているとのことです。

資料には、A4サイズほどの長さで、サランラップの芯よりも太い天然の車えびの写真も同封されており、臼井氏の手とともに写っていることから、実物の迫力と品質の高さが伝えられています。


