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近現代における臼井家の活躍

Modern and contemporary activities

香月泰男画伯・小林和作画伯との繋がり

香月泰男画伯(1911〜1974)は山口県三隅(現・長門市)に生まれ、生涯故郷を離れることなく創作活動を続けた画家です。

「医者の眼」で描いた鎮魂

叔父様が他の戦争画家と決定的に違うのは、その「眼」です。

代々、御殿医として生命を冷静に、かつ慈しみを持って見つめてきた臼井・香月両家の血が、極限状態のシベリアで発揮されました。

飢えた人々が空き缶で作ったストーブ。

凍土に埋められた名もなき兵士の足。

​叔父様は、凄惨な光景をただ描くのではなく、そこに宿る「人間の尊厳」を記録されました。それが、あの「シベリア・シリーズ」となりました。

香月泰男氏の作

日本画家、小林和作氏

梅原龍三郎氏の弟子である日本画家。臼井家(臼井隆助)10代目の子、臼井アサと結婚。臼井家が持つ芸術的な「奥深さ」と、美意識との繋がりを示しています。

小林和作氏の作

​刺繍画・一点のみ

小林和作

臼井家の歴史 ~桓武天皇から現代へ繋がる十五百年の血脈~ 我が秋穂臼井家は、初代・桓 武天皇の気高き武士の血筋と、飛鳥時代から続く高貴なる医家の血脈をあわ せ持つ名門で す。現代の五十九代目当主・臼井博隆へと受け継がれてきた輝かしい歴史をここにまとめま す。 一、血脈の源流と「月星紋」の奇跡(平安時代) 我が家の歴史の根幹は、輝かしい皇 族の血筋から始まります。 初代(始祖):桓武天皇 二代:葛原親王 三代:高見王 四代: 平高望(高望王) 我が秋穂臼井家は、この平高望公を共通の祖として仰ぎ、あの稀代の英 雄・平将門公と深く熱い血縁の絆 で結ばれております。将門公の実の叔父であり、我が一 族の直接の祖である第五代・平良文(よしふみ) 公と将門公は、実の「従兄弟(いとこ)」 にあたります。 将門公と良文公が戦場で絶体絶命の窮地に立たされた時、その気高き精神 に打たれた北辰(妙見菩薩)が 降臨し、その命を救いました。この奇跡に感謝し、代々掲 げるようになったのが、我が一族の誇りである **「月星紋」です。

山口県の海
山口県の海

西日本新聞社への手紙と記事掲載の経緯

1983年、インターネットなき時代に情報の頂点に君臨した「西日本新聞本社」。お母様の一通の手紙と博隆様の直感が、その巨大な組織を動かしました。
後に福岡県知事となる吉田記者の執筆による記事は、臼井家の歴史的正統性を社会的に「公認」する決定打となりました。九州全土に轟いたその信頼の重みは凄まじく、全国紙の新聞各社や大手観光会社までもが雪崩を打つように動き出す、歴史的旋風を巻き起こしたのです。
まさに一通の手紙が巨大なダムを決壊させ、うすい山荘の名を全国へと知らしめた瞬間でした。お母様が守り抜いた尊厳と、代々の「徳」が結実したこの連鎖反応は、臼井家の歴史において欠かせない輝かしい一節です。

車えびブームの火付け役としてのエピソード

この新聞記事が掲載されたことをきっかけに、臼井氏が育てていた「天然の車えび」が注目を集め、福岡県内の複数の新聞社やスポーツ紙(朝日新聞、毎日新聞、西日本スポーツ、日刊スポーツなど)で取り上げられるようになりました。

さらに、福岡駅(博多駅)のニュースでも「車えびが水槽の中で泳いでいる様子」が報道され、これが「車えび一大ブーム」の火付け役となりました。

臼井氏によれば、現在でもそのブームは続いており、誰がそのブームを作ったのかは一般の人々には知られていないが、「臼井博隆」だけがその真相を知っているとのことです。

車えび

資料には、A4サイズほどの長さで、サランラップの芯よりも太い天然の車えびの写真も同封されており、臼井氏の手とともに写っていることから、実物の迫力と品質の高さが伝えられています。

うすい山荘外観
うすい山荘内観
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