

臼井家の活躍年表
Chronology
臼井家の全国的分流と各藩での活躍
臼井家は戦国末期から江戸時代にかけて複数の分流が各地の藩に仕官し、多面的な功績を残しました。
中でも広島臼井家と萩藩臼井家は固い絆で結ばれており、1604年の萩藩成立時、藩内は粟屋氏や神保氏、そして広島臼井家らによって強固に構築されていました。しかし当時、萩藩には医学の力が不足していたため、1623年にその知恵を補うべく九州の臼井家が呼び寄せられたのです。一族は原田氏や筑紫千葉氏ら15名で船に乗り、5日間の荒波を越えて秋穂へ移住。この宿命の出会いにより「萩藩臼井家」が誕生し、藩医・大組士として藩政や医学教育に多大な貢献を果たしました。また、秋月藩臼井家は黒田家に仕え幕末に「最後の仇討ち」を果たし、鯖江藩臼井家は間部家に仕官し京都警衛や天狗党討伐に関与するなど、一族は日本各地で武士・医師・学者としてその名を轟かせました。


臼井家の歴史的年表・節目
桓武天皇から千葉一族・臼井一族への系譜
| 代 | 人名 | 関連する年号・出来事 |
| 初代 | 桓武天皇 | 781年~806年(延暦年間) 第50代天皇。平安京へ遷都。 |
| 二代| 葛原親王 | 786年~853年(延暦~仁寿年間) 桓武天皇の第三皇子。平氏の祖。 |
| 三代 | 高棟王 または 高望王の父| 9世紀中頃 葛原親王の子。 |
| 四代| 高望王 | 889 年(寛平元年) 「平」の姓を賜り、臣籍降下。上総介として関東へ 下向。 |
| 五代 | 平良文 | 10世紀前半(承平・天慶年間) 村岡五郎。関東平氏、千葉・臼井氏の直 接の先祖。 |
| 六代| 平忠頼| 10世紀後半 武蔵・下総などで勢力を拡大。 |
| 七代 | 平忠常| 1028 年~1031 年(⾧元年間) 「平忠常の乱」を起こし、房総に強大な 勢力を築く。 |
| 八代 | 平常将 | 11世紀半ば 下総権介。千葉に本拠を置く。 |
| 九代 | 平常⾧ | 11世紀後半 下総・上総に勢力を広げ「房総平氏」の基盤を固める。 |
| 十代| 平常兼| 1100 年前後(康和・⾧治年間) 千葉大夫。この代から「千葉」を名乗り始めたとされる。 |
| 十一代| 千葉常重 | 1126年 (大治元年) 千葉一族の初代。千葉市を本拠(亥鼻城)とし、千葉一族を確立。
| ◉千葉 一族から「臼井一族」への分立 千葉常重公の時代、あるいはそのすぐ後の世代で一族が分かれます。 臼井常康(うすいつねやす)公 1114 年(永久2年):下総国印旛郡に「臼井城」を築城。 資料にある通り、平安時代後期の1114年に臼井城が築かれたことで、千葉一族から分立した臼井氏の確固たる歴史が始まったことが分かります。
永久2年(1114年)
建武2年(1335年)

臼井常康が臼井城を築城
千葉氏は桓武平氏を祖とし、源頼朝の挙兵に貢献した千葉常胤を中心に、鎌倉幕府の有力御家人として活躍。臼井氏はその分家として臼井常康が臼井城を築城し、関東の武士団として勢力を誇りました。
臼井興胤が足利尊氏に従い千葉から九州へ敗走
臼井家は、南北朝時代に足利尊氏に従い、九州へ敗走。この九州遠征が、臼井家と九州の原田一族・筑紫千葉氏との関係を生む契機となり、医学の知識が融合される土壌となりました。
暦応3年(1340年)
臼井城に復帰、八幡神社・円応寺建立
菊池武敏との戦いで軍功を挙げ、後に臼井城に復帰しました。
永禄9年(1566年)
上杉謙信を撃退
戦国時代には上杉謙信の攻撃を退けた「臼井城の戦い」が有名で、上杉謙信と里見義弘の連合軍(約1万5千)に攻められましたが、原胤貞と、援軍の北条氏の松田康郷ら、そして軍師・白井入道浄三の知略により、大軍を撃退。上杉謙信が生涯最大の敗北の一つを喫したとされ、関東の戦国情勢を大きく左右する戦いとなり、臼井氏の武勇が知られるきっかけとなりました。
天正18年(1590年)
小田原征伐で臼井城落城
戦国末期には、臼井家は北条氏と共に豊臣秀吉の小田原征伐で敗れ、臼井城は廃城となり、武士としての時代を終えます。これが萩藩での医学の道への転換点となりました。
慶長5年(1600年)
関ヶ原の戦い
毛利輝元が戦で敗れ、安芸国から周防・長門国(現在の山
口県)へ移封。
慶長9年(1604年)
萩藩成立
元和9年(1623年)

萩城が築城され、藩庁が整備。当家は粟屋氏や神保氏、広島臼井家と共に藩政の中核を担いました。
秋穂へ移住、藩医として活動開始
萩藩の医学不足を補うため、九州の臼井家が呼び寄せられました。一族は原田氏や筑紫千葉氏ら15名で船に乗り、5日間かけて秋穂の浦へ移住。地元の小林家の依頼で開業し、のちに『風土注進案』に「粟屋若狭の家来」として刻まれる深い絆を結び、約400年にわたり藩医の道を歩みました。
明治13年(1880年)
日本史上最後の仇討ち「臼井六郎仇討事件」
秋月藩士・臼井六郎は、父母を殺し た仇を東京で討ち、日本最後の仇討ちを遂げました。世間は彼に深く同情しました。
